そばの歴史
本ページはプロモーションが含まれています。
そばの歴史は古く、縄文時代から遺跡がみつかっています。
はじめは、凶作の時の食べ物として蓄えられていたようで、今のように麺としてではなく、そば殻を外しただけのものをお米のように食べたり、そばがきのような練り物としてよく食べられていたようです。
現在の麺のようになったのは、江戸時代からで、麺の形となったそばはそば切りと呼ばれていました。
今でも、地域によってはそば切りと呼んでいる所もあります。
どうして信州は蕎麦王国なのか?
信州は蕎麦王国として全国に知れ渡っています。どうしてでしょうか?
それは信州の風土が蕎麦栽培に適しているからです。
しかし、裏を返せば深い山々に囲まれた標高の高い土地は米の育たない、蕎麦しか育たない土地だったのです。
信州の人にとっては蕎麦が生活の糧であり、命の源でした。
その為に信州では郷土蕎麦が多種多数あります。その土地土地の風土や風習に合わせ様々な形に姿を変えて信州のそば文化を作り上げました。
蕎麦の種類
一口に蕎麦といっても種類がいろいろあります。更科そば、田舎そばなどなどです。
そば粉は、大きく分けて一番粉、二番粉、三番粉の3種類があります。
一番粉は、そばの実の中心部分(胚乳)が挽かれてできている白い粉で「更科そば」と呼ばれるものです。東京などで多く食べられます。
そばの実の中層部分からつくられたのが二番粉で、よく使われているそば粉です。栄養価も高くそばの香りもほどよくします。
三番粉はそば殻が含まれていて、そばの仕上がりがまっ黒になります。栄養価も高くそばの香りも強くするのですが、味は少し劣ります。
二番粉以降でつくられたそばは大きくわけて田舎そばと呼ばれます。
■■そばつゆ■■
そばを美味しく食べるには「そばつゆ」が大事ですね。
「そばつゆ」は「かえし」という醤油と砂糖とみりんを合わせた原液と「だし」をあわせて作ります。
「かえし」にも、本がえし、生がえし、半(生)がえしと3種類ありますが、半(生)がえしはあまり一般的ではありません。
「だし」は、鰹節から摂っただしが最も多く、なかには鯖やアジ、椎茸などから取ることもあります。
砂糖も上白糖のかわりに三温糖や黒糖、ザラメなどを使う場合もあります。
■■どうしてそば湯を飲むのか?■■
そば湯は、そばの茹で汁の事をいいますが、そばの香りや温かみ、そばつゆをいれて飲めば、そばのつゆの旨味を味わうことができます。
シンプルな茹で汁の場合、そば湯の風味や味などで、そのお店の店主の腕の良し悪しが分かると言います。
最近は、そば湯を出すお店側も、そば粉を足したりして手をくわえたりすることもあり、「湯桶(ゆとう)」という立派な入れ物に入れて出てくることが多いです。